タルパに"なりきる"のは良いが"憑依"はするな

界隈では、『憑依』という言葉が使われている。

それが「タルパの言動を真似してあたかも本人のように振る舞う」という『なりきり』の意なら全く問題はないが、それを「霊が取り憑いてくようにタルパに取り憑かれる訓練」だと捉えているのなら、大変危険な行為である。

 

 

 

本来の意味での憑依は、『憑依障害』と呼ばれるほどの病的なものである。

界隈で言われる言葉では『暴走』というのが最も近い。

タルパがタルパーの体を乗っ取り、意図しない行動をする。そうなっては危険だ。

 

だから『憑依』の意味での憑依をするな。タルパの憑依はあくまでも「なりきる」というエンターテイメントに留めるべきだ。

憑依をしている時、常に「私はタルパを演じている」と思わなければならない。決して「私はタルパである」と思ってはいけない。

 

タルパをはじめ、思念体は本来は憑依するようなものではないのだから。

思念体はその名の通り、"思念からなる体"を持っている。そのため仮に意図にそぐわない暴動を起こしたとしても、物質的に怪我をすることは決してない。

物質的に怪我をさせなければ傷害とは言えない。そのためこれを悪用すれば精神世界内で犯罪者を暴れされることも可能だが、それを決して現実的なものに融合させてはならない。

融合させた瞬間にタルパーは現実の犯罪者となる。

 

「現実的なもの」というのは人間の体はもちろん、SNSなどのネットサービスも含まれる。

倫理的にこれを言うのもなんかアレなのだが、精神世界内であればどんな悪いことをしてもそれが悪いことか決めるのは精神世界内の法律であるため、現実世界の法律は適用されない。

しかし憑依をしてその行動をしたり、「こういうことがあった」と書き込みをした時点でそれは現実界のタルパーの言動として扱われる。例えタルパーが「これはタルパがやった」と言おうがタルパを知らなかったり信じなかったりする人からしてみればタルパーの他誰の責任でもないのだ。

 

 

だから憑依は危険だと言っている。

 

 

これは「タルパは犯罪をするから」と言っている訳ではない。「タルパが犯罪をする可能性は否定できないから」と言っている。

オート化をしたタルパはタルパーの意思にそぐわない行動をして当たり前(そうでなければオート化とは言わない)のだから、本当にタルパをオート化させようと思うのなら、その訓練として憑依は非常に危険だと言っている。

 

タルパがオート化すればタルパの行動はタルパーが予測することはできない。

しっかり教育していたとしても問題行動を起こす可能性は十分考えられる(人間でもきちんとしつけを受けていても問題行動を起こす人はいるから)。

 

だから万が一タルパが問題行動を起こした時にタルパーが全ての責任を被らなければならないという最悪な事態を避けるためにも、タルパの行動で現実世界に影響を及ぼすことはあってはいけない。

タルパは覚醒した人が見ている『幻影』なのだからあくまでも"そこにいると感じられる"だけだ。タルパが現実世界の物を動かせるとか、それ以上の事を考えるのはおすすめしない。

 

タルパにはタルパ自身の体があるのだからタルパーの体を与えて乗っ取らせてはいけない!

 

 

 

「タルパが解離性同一性障害を引き起こす」と言われる大きな原因は憑依が占めていると考えられる。

なぜなら憑依以外に何の原因があるのだ?そもそも外の世界にいるべきタルパが保持者の内部に存在する人格となるにはタルパを外部から内部に移動させる働きかけが必要となってくる。その働きかけこそ「憑依」と呼ばれるものだ。

 

つまり憑依をさせなければ解離性同一性障害にはならない!

言い換えれば憑依が解離性同一性障害のリスクを招いているのだ!

 

 

 

思念体にSNSをやらせる時などはあくまでも「演技」と割り切らなければならない。それか「代筆」。間違っても「思念体自身が書いている」という妄想に走ってはならない。

 

思念体が解離性同一性障害の原因とならないためにも、憑依はあまり信じすぎずなりきり感覚のエンターテイメントとして楽しむという心構えを忘れてはならない。